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東京地方裁判所八王子支部 昭和43年(ワ)1047号 判決

原告

野沢もと

ほか四名

被告

塚本博通

ほか一名

主文

被告等は各自、原告野沢もとに対し二〇六万四〇五五円、及び内金一三一万四〇〇三円に対する昭和四三年一一月二一日以降、残金七五万〇〇五二円に対する昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告野沢和夫、同野沢裕に対し各八五万二〇二七円及び各内金四七万七〇〇一円に対する昭和四三年一一月二一日以降、各残金三七万五〇二六円に対する昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を、原告野沢喜子、同野沢泰三に対し各九一万二〇二七円及び各内金五三万七〇〇一円に対する昭和四三年一一月二一日以降、各残金三七万五〇二六円に対する昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の各請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告等の負担とし、その余を被告等の負担とする。

この判決は原告等各勝訴部分に限り、原告野沢もとにおいては金四〇万円、原告野沢利夫、同野沢裕においてはそれぞれ金一八万円宛、原告野沢喜子、同野沢泰三においてはそれぞれ金二〇万円宛の各担保を供するときは、当該原告において仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は「被告等は各自、原告野沢もとに対し三五五万〇六二〇円及び内金二四七万一二四〇円に対する昭和四三年一一月二一日以降、残金一〇七万九三八〇円に対する昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告野沢和夫、同野沢裕に対し各一四七万五三一〇円及び各内金九三万五六〇〇円に対する昭和四三年一一月二一日以降、各残金五三万九七一〇円に対する昭和四五年六月二〇日以降、原告野沢喜子、同野沢泰三に対し各一五七万五三一〇円及び各内金一〇三万五六〇〇円に対する昭和四三年一一月二一日以降、各残金五三万九七一〇円に対する昭和四五年六月二〇日以降、それぞれ各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一  被告金井勇(以下単に被告金井と称する)は昭和四三年八月三日午後八時三〇分頃被告塚本博通(以下単に被告塚本と称する)所有の小型乗用自動車(多摩五る六七六七)を運転し、県道熊谷入間線を坂戸方面から東松山方面に向け、時速約七〇粁で進行中、前記県道大里久保田、下青鳥線との交差点(東松山市大字上野本六四九番地先)直前道路を前方右側より左側に向つて横断中の野沢伊之吉を発見したので、進路を右側に転じ横断者の背後を通り抜けようとして、自動車の接近に気付き、後戻りしようとした野沢伊之吉に自動車を激突、転倒させ、よつて同人に対し、頭蓋内出血、右大腿骨、右下腿骨折、下腹部右上肢挫滅創の傷害を与え、よつて、同日午後一〇時五五分頃東松山医師会病院において死に至らしめたものである。

二  右交通事故は被告金井の過失によつて発生したものである即ち、

1  本件事故現場の道路は、幅員約六・二メートルの歩車道の区別のない県道熊谷入間線(以下、第一道路と称する)上で、本件道路と東西に交差する幅員約四・二メートルの歩車道の区別のない県道大里久保田、下青鳥線(以下第二道路と称する)とが交る交差点附近で、交差点より坂戸方面約九メートルの地点である。交通規制は駐車禁止だけであるから、制限速度は毎時六〇粁以下である。第一道路は直線道路で、道路の両側は水田地帯で視界を妨げる障害物はない。街路灯の設備もない。

2  被告金井は事故当日頃は午前八時から午後六時三〇分まで自動車修理工として勤務し、毎日午後一一時頃まで整備士検定試験講習に通い、前日も午後一〇時三〇分まで講習を受け、事故直前は三時間運転を継続していたのであつて過労していた。

3  被告金井は事故現場に時速七〇粁の速度で、前照灯を上向きに切り替えて進行していた。従つて一〇〇メートル先の交通上の障害物は確認出来る筈である。そして被告金井は野沢伊之吉を四五メートル前方において発見している。それにもかかわらず、同被告は伊之吉が道路中央にあり、横断するものと考えて、道路右側に入つて進行して行けば同人の後方を容易に通れるものと考え、右速度(七〇粁)のまま道路右側に入つて進行を継続し、その間歩行者の動静に注意し、減速徐行し、警音器を吹鳴する等の安全措置をとつていない。

4  被告金井が野沢伊之吉が後ずさりするのを発見したのは直前一七・九メートルである。被告金井は驚くのみで速度も早かつたことから急停車の措置をとることが出来ず、自車左前部を同人に衝突せしめ、衝突後に急制動の措置を講じている。

以上によつてみられるところは、被告金井には、(イ)制限速度違反(約一〇粁超過)、(ロ)道路交通法第三八条の二の交叉点直前の横断歩行者の通行妨害禁止義務違反、(ハ)道路交通法第一七条第三項の道路の左側部分通行義務違反、(ニ)道路交通法第六六条の過労運転の禁止義務違反、(ホ)道路交通法第四二条第五四条の規定類推の徐行、警音器使用義務違反等の自動車運転者としては当然履践すべき注意義務のかずかずに違反し、本件事故を発生したものであり、本件事故によつて蒙つた野沢伊之吉及び原告等の各損害を賠償すべき義務がある。

三  被告金井の不法行為によつて野沢伊之吉及びその妻である原告野沢もと、またいずれもその子である原告和夫、同裕、同喜子、同泰三等は次のような損害を蒙つた。

(1)  野沢伊之吉の死亡による逸失利益金七五〇万〇二二五円

(イ)  野沢伊之吉は農業、不動産仲介業を営むものであり、その年間収入は年間一五八万九六二〇円であつた。

(ロ)  右伊之吉は大正四年四月三〇日生であり、死亡の昭和四三年八月三日において五三歳三月である。第一〇回生命表によれば五四才の男子の平均余命は一九・二九年であり、農業、不動産仲介業における稼働年数は七〇才まで可能であるので残余稼働年数は一六年(端数切捨)である。

(ハ)  野沢伊之吉の生活費は一カ月一万円一年合計一二万円である。

(ニ)  以上の資料に基づき同人の逸失利益を計算すると、民事法定利率年五分を以てホフマン式計算法により現価を算出すると、先ず、一五八万九六二〇円から生活費一年分一二万円を控除すると一四六万九六二〇円の収入となるそして

1469620×16×0.555=7500225

即ち七五〇万〇二二五円となる。

(2)  ところで原告等は、自動車損害賠償責任保険から本件事故の保険として三〇〇万円を得たから、右三〇〇万円を前記の逸失利益の損害金七五〇万〇二二五円の支払いに充当すると、右逸失利益の未払残額は四五〇万〇二二五円となる。

(3)  野沢伊之吉の葬祭料 六五万一六三五円。

内訳

(イ)  死亡診断書作成費 一九〇〇円

(ロ)  葬儀飾付費 七万八九六〇円

(ハ)  花代 二八五〇円

(ニ)  お布施(お経料) 二万四〇〇〇円

(ホ)  ドライアイス代 四九〇〇円

(ヘ)  線香代 一八〇円

(ト)  礼状印刷代 二一六〇円

(チ)  会葬者飲酒代 二万二四八五円

(リ)  会葬者返礼費用 五一万四二〇〇円

右合計 六五万一六三五円

(4)  亡野沢伊之吉自身の死亡に因る慰藉料 二〇〇万円

野沢伊之吉は農業の外に土木建築、不動産斡旋を営み、その年間所得は二〇〇万円を下らない。更にその所有地である東松山市大字下青鳥字天神前六四九、宅地一四〇〇平方メートルにはドライブインの建築を計画し、その建築準備中であり、本件事故により中断のやむなきに至つた。また東松山市において野本農業協同組合上郷支部長、東松山市立南中学校P・T・A役員等の公職を歴任し、部落の有力者であり、本件事故による精神的苦痛に対する同人自らの慰藉料は二〇〇万円を以て相当とする。

(5)  原告等は前述のとおり野沢伊之吉の妻子であり、長男である原告野沢和夫、次男である原告野沢裕はいずれも独立の生計をしているが、妻である原告野沢もと、長女である原告野沢喜子、三男である原告野沢泰三は野沢伊之吉と生計を共にし、同人の死亡により一家の支柱を失い原告野沢もとは今後の生活に、原告野沢喜子、同野沢泰三は将来の独立のため少なからぬ打撃を受け、よつてその受けた精神的損害の程度に応じ、民法第七一一条により、原告野沢もとは一〇〇万円、原告野沢喜子、同野沢泰三は各自三〇万円宛、原告野沢和夫、同野沢裕は各自二〇万円宛の慰藉料額を以てその苦痛の損害賠償として相当とする。

(6)  原告等は被告両名に対して本件起訴前各自の損害賠償を請求したが被告等は任意に支払おうとしないので、原告等の本訴の請求金額を得るためには本件訴訟を提起せざるを得なかつたところ、原告等はいずれも訴訟提起、同遂行能力が乏しいため、第二東京弁護士会所属の弁護士多賀健次郎に対して右訴訟の提起と遂行を委任せざるを得なかつた。そのため、その着手金並びに報酬として第一審の判決の言渡と同時に総計五〇万円を支払う旨約束をしている。よつて右弁護士費用は本件交通事故によつて原告等の蒙つた損害であるが、右損害は原告等の取決めとして、各自伊之吉に対する相続分に応じてこれを支出するのを相当と考え、それによつて算出された金額を負担することとしている。

四  原告等五名の伊之吉との身分関係は前記のとおりであるから、その相続分は原告野沢もとが三分の一、その余の原告等四名はそれぞれ六分の一宛である。よつて原告等は前記請求損害中、伊之吉の固有の逸失利益残四五〇万〇二二五円、慰藉料二〇〇万円、右合計六五〇万〇二二五円をそれぞれ右の法定相続分に従つて相続取得し、また葬祭料の損害六五万一六三五円、弁護士費用五〇万円右合計一一五万一六三五円をそれぞれ相続分に応じて負担支出するため、右の総合計金額七六五万一八六〇円の三分の一(原告もと)は二五五万〇六二〇円となり、同額の六分の一(その余の原告等)は一二七万五三一〇円となるので、原告野沢もとは右に一〇〇万円を加えた三五五万〇六二〇円、原告野沢和夫、同野沢裕は右にそれぞれ二〇万円を加えた各一四七万五三一〇円、原告野沢喜子、同野沢泰三は右にそれぞれ三〇万円を加えた各一五七万五三一〇円となり、原告等はそれぞれ被告金井に対して右各損害の賠償を求め得るものである。

五  ところで被告塚本は本件加害自動車を保有し運行の用に供するものとして自動車損害賠償保障法第三条により前記の各損害を被告金井と連帯してそれぞれの原告に賠償すべき義務がある。

六  よつて被告等両名は各自、原告野沢もとに対し、損害賠償金三五五万〇六二〇円及び内金二四七万一二四〇円(逸失利益損害金の一部一〇七万九三八〇円を除くその余の損害金)に対する本件損害発生の後である昭和四三年一一月二一日以降、残金一〇七万九三八〇円(逸失利益損害金の一部)に対する右損害発生の後である昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を、原告野沢和夫、同野沢裕に対し、各損害金一四七万五三一〇円及び各内金九三万五六〇〇円(逸失利益損害金の一部五三万九七一〇円を除くその余の損害金)に対する前記昭和四三年一一月二一日以降、各残金五三万九七一〇円(逸失利益損害金の一部)に対する前記昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を、原告野沢喜子、同野沢泰三に対し、各一五七万五三一〇円及び各内金一〇三万五六〇〇円(逸失利益金のうち一部五三万九七一〇円を除くその余の損害金)に対する前記昭和四三年一一月二一日以降、各残金五三万九七一〇円(逸失利益損害金の一部)に対する前記昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、被告等に対し、各自右各金員の支払いをそれぞれ求めるため本訴に及んだと述べ、

被告等の抗弁に対し、第一、二項の事実は認める。第三項の事実中被告金井が、停止、徐行等の措置をとらず、そのままの速度(但し時速七〇粁)で伊之吉の背後を通過しようとしたことは認めるが、その余の事実は否認する。第四項の事実は否認する。第五項の事実中、原告等が本件交通事故によつて強制保険より保険金三〇〇万円を損害保障金として受領したことは認める。第六項の主張は争う。第七項の事実中野沢伊之吉が宅地建物取引業法に定める免許を受けていなかつたことは認めるが、その余の事実はすべて否認すると述べ、

被告等の抗弁に対する否認の事情として、

一  被告等は被告金井が伊之吉を発見した場所は四五・三メートル手前である旨主張している。しかし道路運送車両の保安基準第一二条第一項四によると、制動能力として最高速度毎時八〇キロメートル以上の車両の制動初速度毎時五〇キロメートルの時の停止距離は二二メートル以下でなければならない旨規定されているから、本件の運転者の措置としては急制動により被害の発生を避けられ得べきものである。

二  伊之吉の不動産取引業の収入について述べると、同人は昭和四一年頃から、宅地建物取引業法(以下、宅建法と称する)第三条に基き埼玉県知事の免許を受けている不動産取引業者坪井輝香の営む坪井不動産において出来高歩合制により不動産取引業に従事していたものである。不動産取引業の経営者は宅建法第三条の免許を受けることを要し、その事業所に取引主任者を一人以上置かねばならぬことになつているが、その業者の指揮監督の下に不動産取引業務に当る従業員については何らの法規制はなく免許乃至資格を要するものではない。伊之吉は免許を受けた不動産取引業者の従業員として収入を得ているものであつて、その収入形態が給与でないので事業所得として税務申告をしていたものである。しかし伊之吉の収入は被告等の主張するような無免許不動産仲介業経営者の収入ではなく、従つて経営者を前提とする被告等の論旨は理由がない。

三  仮に伊之吉の不動産取引業従事者としての実態が宅建法第三条の免許を受くべきものであるとしても、無免許営業者の損害に関する被告等の論旨は当を得ていない。宅建法第三条の事業免許制の根本趣旨は、宅地及び建物の取引の公正の確保と宅地及び建物の利用の促進を図ることにあり、事業による営利自体を直接規制しようとするものではなく、また無免許営業自体は公序良俗ないし社会の倫理観念に著しく反する不法行為として無効となるものではない。まして伊之吉の不動産取引従事者としての実態は前述のとおりであるから不法行為の収入との非難は当らない。いずれにしても被告等の主張は理由がない、と述べた。〔証拠関係略〕

被告等訴訟代理人は「原告等の各請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、原告等の請求の原因に対し、第一項の事実中、原告等主張の日時に被告金井の運転していた被告塚本所有の小型乗用自動車(多摩五る六七六七)が野沢伊之吉と衝突し、その結果野沢伊之吉が死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。本件事故発生場所も争う。右は東松山市大字上野本一四二三番地である。第二項の1の事実中、本件事故現場の制限速度が毎時六〇キロメートルであることは認め、その余の事実は否認する。同項の2以下の事実はすべて否認する。第三項の事実中(2)のうち自動車損害賠償責任保険から、保険金三〇〇万円を原告等が受領したことは認めるが、その余の事実は不知。第四項の事実は不知。第五項の事実中、本件の自動車が被告塚本の所有にかかるものであることは認めるが、その余の主張は争う。第六項の主張は争うと述べ、

原告等の請求原因に対する否認の事情として、

一  被告塚本と被告金井とは昭和四三年七月頃自動車整備士講習会で知合いとなつたところ、被告金井の妻金井ヨシ子が出産のために同女の実家である埼玉県児玉郡児玉町大字下浅見小賀野喜三次方に帰省し、同人方で出産を終えたので、被告金井が同女と出産にかかる子供とを連れ戻しに行くため被告塚本に対して本件の車両の貸与を申入れ、被告塚本はこれに応じたものである。そして本件事故は被告金井が本件車両を運転して同人の妻子を迎えに行く途上で発生した。

二  いうまでもなく自動車損害賠償保障法第三条の運行供用者責任が肯定されるためには当該車両に対する運行支配及び利益が存在しなければならない。本件においては被告塚本にはもはや本件車両の運行に対してこれが支配をしていたものとはいい難く、また本件車両は無償で貸与されたものであるうえに、被告両名間には取引もなく本件車両貸与についてもこれに伴う取引上の利害関係は一切なかつたもので、被告塚本は本件車両の運行に対し、何らの利益も取得していない。従つて被告塚本には運行使用者としての前記法条の責任は生じない、と述べ、

被告等の抗弁として、

一  本件加害車には構造上の欠陥も機能上の障害もなかつた。

二  本件事故現場は坂戸方面より東松山方面に通ずるアスフアルト舗装でセンターラインの設置された幅員約六・二メートルの道路(以下第一道路と称す)と、右道路と十字路交差をする幅員約四・二メートルの砂利道(以下第二道路と称す)との交差点より約七メートル坂戸方面寄りの第一道路センターライン附近である。

三  被告金井は本件車両を運転して坂戸方面より東松山方面に向け第一道路上を同車にとつて左側部分を時速三二キロメートルで走行していたところ、同人は同車にとつて右より左へ第二道路上走行して来た野沢伊之吉が、第一道路センターライン附近まで横断して来たのを前方約四五・三メートルの地点で発見したので、同被告はその速度を更に一九・三メートルに落して走つた。しかるところ野沢伊之吉は同車にとつて、センターライン附近より更に左に横断しかけたので、被告金井は至近距離であるから、急制動をかけたとしても到底衝突は免れ得ないと判断し、センターラインを越えて同人の背後を通過すべく右にハンドルを転把したところ、右野沢は加害車が約一七・九メートルに迫つたとき急に左への横断を中止して再び右に戻つて来たため、本件事故が発生した。ところで本件事故現場の両側は田圃であつて、交通量は頻繁であり、外燈等の照明はなく、本件事故発生の時刻が午後八時五〇分頃であることからして、車両運転者にとつては暗闇のためいわゆる見透しはきわめて悪い地点であり、車両が前照燈をつけたときの見透し距離も約五〇~八〇メートル程度に止まるものである。次に本件事故現場は直線であるから歩行者にとつては車両の進行の有無は容易に発見できるところ、本件事故当時対向車はなかつたから、被告金井はハンドルを転把し対向車線上に進入しても右対向車のないこと、及び前述のとおりの本件事故発生の態様からして被告金井の右行為は非難し得べきものではない。

四  本件事故現場は夜間になると前述の如く暗くて、車両が前照燈をつけても見透し距離は約四〇メートル~八〇メートルに止まるものである。本件事故発生の直前には被告車と先行車である徳江恒雄運転の単車のみであつたが、もともと本件事故発生の場所は交通量の頻繁な地点であるから、道路横断に当つては車両の直前横断はもとより横断中に道路附近から再びもとに戻るなどの行為に出れば交通事故が発生するであろうことは予測すべきことがらである。ところが伊之吉は左方約四五・三メートルには被告車が走行して来ており、また更に同車の先行車である単車がその手前を走行して来ていたのにかかわらず、右から左に向つて道路を横断しようとした。被告車等は左側通行をしていたのであるから、このような横断は交通事故発生の危険性を多大に含むものであり、伊之吉としては、当然被告車等の通過をまつて横断すべき注意義務があるのに、これを怠つた過失がある。

更に被告車が右へハンドルを転把し、衝突地点まで一七・九メートルの附近まで進行したとき、横断中の伊之吉は再び戻ろうとしたため被告車の左前部が同人に衝突した。被告車が一七・九メートルを走行するに要する時間的余裕は毎時三二キロメートルの場合で二・〇秒、時速六〇キロメートルの場合で一・〇秒であるから、伊之吉がかかる行為に出れば交通事故の発生は必然であつて、被告車の衝突個所が左前部であることに鑑み、同人が通路中央附近で佇立するか、またはそのまま横断を継続していれば本件交通事故は避け得られたものであり、右行為も伊之吉の過失というべきである。

以上によつて過失の割合を考えると、本件事故における野沢伊之吉と被告金井の過失割合は伊之吉三に対し被告金井七というべきである。

五  原告等が本件交通事故によつて強制保険より保険金三〇〇万円を受領したことは原告等も自認するところであり、右支払いの事実を援用する。ところで右の支払いは先ず原告等主張の逸失利益の損害に充当し、右によつて余剰がある場合には、原告等主張の葬祭料、しかる後慰藉料の順序でその支払いの充当を主張する。

六  しかしながら、右三〇〇万円支払いについては、原告等主張の損害費目をすべて加算して総損害額を算出し、伊之吉には前記の過失があるので、総損害額に対して過失相殺をした上、争いのない事実である既出分三〇〇万円を過失相殺して得られた損害額より前項主張の順序によつて控除することを主張する。

七  次に原告等主張の逸失利益について反論する。原告等はその逸失利益として伊之吉の不動産仲介業者としての報酬を請求している。ところで不動産仲介業を営む場合は、宅地建物取引業法に定める免許を建設大臣または都道府県知事より取得しなければならない(宅建法第三条第一項)。しかるに伊之吉は不動産仲介業を営んでいたにかかわらず、右に述べた免許を持たない。しかしながら右免許を受けていないものは宅地建物取引業を営んではならないのみならず、これを犯したものに対しては懲役、罰金等の刑事上の制裁が科されている(同法第二四条第二号)。同法はきわめて公益性の強い法律である。よつて逸失利益中の不動産仲介業による利益ということは、違法な収入であり、その得べかりし将来の利益というのは違法行為を継続してなすことを前提とする主張になり、法の保護に値せず、右逸失利益の存在は否定されるべきである。と述べた。〔証拠関係略〕

理由

一  〔証拠略〕によると、被告金井は昭和四三年八月三日午後八時三〇分頃、被告塚本所有の小型乗用自動車(多摩五る六七六七)(以下、被告車と称する)を運転し、県道熊谷入間線を坂戸方面から東松山方面に向け、時速約七〇粁で進行中、前記県道大里久保田下青鳥線との交差点(東松山市大字上野本六四九番地先附近)直前道路を前方右側より左側に向つて横断中の野沢伊之吉を発見し、進路を右側に転じて横断者の背後を通り抜けようとして道路の中央線を超えて右側通行帯を通過しつつあつた時、自動車の接近に気付き、後戻りしようとした野沢伊之吉に自動車を激突、転倒させ、よつて同人に対し頭蓋内出血、右大腿骨、右下腿骨折、下腹部、右上肢挫滅創の傷害を与え、よつて同日午後一〇時五五分頃東松山医師会病院において死亡せしめたことが認められ(右事実中、昭和四三年八月三日午後八時三〇分頃、被告金井が被告塚本所有の小型乗用自動車を運転している途中、野沢伊之吉と衝突し、その結果伊之吉が死亡するに至つたことは当事者間に争いがない)右認定に反する証拠はない。

しかして前掲各証拠(但し、後記採用しない部分を除く)によると、

(一)  本件事故現場の道路は幅員約六・二メートルの歩車道の区別のない県道熊谷入間線(以下、第一道路と称する)上で、本件道路と東西に交差する幅員約四・二メートルの歩車道の区別のない県道大里久保田下青鳥線(以下、第二道路と称する)とが交る交差点附近で、交差点より坂戸方面約九メートルの地点であること、交通規制は駐車禁止だけであるから、制限速度は毎時六〇粁以下であること、第一道路は直線道路で、道路の両側は水田地帯で視界を妨げる障害物はなく、且つ街路灯の設備もなかつたこと、

(二)  被告金井は事故現場二六メートル位手前までは時速七〇粁の速度で前照燈を上向きに切り替えて進行していたこと、従つて少くとも七〇メートル位先の交通上の障害物は確認出来る筈であつたこと、そして被告金井は野沢伊之吉を四五メートル前方において発見したが、それにもかかわらず同被告は伊之吉が道路中央にあり、横断するものと考えて、道路右側に入つて進行して行けば同人の後方を容易に通れるものと考え、右時速をそのままにしてさしかかり、事故地点前二五メートル階近でセンターラインを越えて道路の右側部分に入つて進行を続け、その後伊之吉に一七・九メートル程接近するに至るまでは、何らの減速、徐行等の行為をせず、また警音器の吹鳴等の安全措置をとることもなかつたこと、

(三)  被告金井が伊之吉の後戻りするのを発見したのは衝突地点前一七・九メートルであること、被告金井はその時初めて危険を感じてブレーキを踏んで減速を試みたが、あわてていたこともあつて適切な急停車の措置をとることも出来ず、いくらかの減速をしたまま自車左前部を道路の右側部分上において同人に衝突せしめ、衝突後に急制動の措置を講じていること、

(四)  一方、本件事故現場の両側は田圃であつて交通量は頻繁であり、外燈等の照明はなく、本件事故発生の時刻頃には周囲は暗くて、自動車のヘツドライト以外に頼れる照明もなく、一般に見透しも悪くなつていたこと、ところがこれを横断しようとする歩行者にとつては本件事故現場は直線コースであるから、車両の進行して来る状況は遠くからでも容易に発見出来る場所であつたこと、

(五)  ところで、伊之吉は本件において左方約四五・三メートルには被告車が走行して来ており、また更に同車の先行車である単車がその直前を走つて来ていたのであるから、これらの車の通過をまつて横断の安全を確認してから横断を開始すべきであるのに、その注意を怠つて、これらの通過をまつことなく右から左に向つて道路を横断しようとしたこと、被告車等はその時点頃は左側通行をしていたのであるから、このような横断は交通事故発生の危険性を多大に含むものであり、伊之吉としては当然被告車らの通過をまつて横断すべきであつたのにこれを守らなかつたこと、

以上の各事実が認められ、右認定に反する〔証拠略〕は採用し難く、他に右認定に反する証拠はない。

なお、右の如く被告金井は同人に対する本件事故の刑事々件における取調べにおいて伊之吉と衝突するまで時速七〇粁であつたと述べている証拠(〔略〕)があるが、もし時速が右のとおりとすると急停車した時生じるスリツプ痕の長さから逆算した時速とあまりに隔たりがあるものとなるから、前記認定した如く被告金井は衝突前約一七・九メートル手前位までは時速七〇粁位で進行して来ていたとしても衝突直前においては同一速度ではなかつたものというべきである。そして被告等もこのスリツプ痕の長さからみて右衝突直前の速度は計算上多くみても時速三二粁位である旨主張するのであるが、被告等の主張する計算は他に右実験を妨げるべき事情のない場合においては、その数字を以て正しいとするも、本件の場合にはその道路の状況とか、急停車措置前に加害車が成人の大人(後退しようとしているか、または佇立している状態のもの)に衝突していてそれだけ速度が落ちるとの事実、そして本件加害車は小型車であつて、右衝突と同時に一時伊之吉をボンネツト上にはね上げて約九メートル前後走行して同人を道路上に落していること(このボンネツト上にはね上げて右の距離を走行して伊之吉を道路に落したとの事実は〔証拠略〕等からみて、被告車の衝突時における速度に関する被告等の右主張には、にわかに左袒することが出来難いものといわざるを得ない。ひつきよう〔証拠略〕を総合して判断すると、前記のとおり被告金井は衝突前約一七・九メートル位手前までは時速約七〇粁で進行して来ていて、右一七・九メートル手前に来たとき、その速度を落して衝突時点では時速約五〇粁前後になつていたものと認めるのを相当と考えるものである。

そこで以上認定の各事実によつて考えると、先ず被告金井については、道路交通法第三八条の二の交差点直近の横断歩行者の通行妨害禁止義務違反、同法第一七条第三項の道路の左側部分通行義務違反のほか、交差点の直近であり且つ道路を横断しようとする伊之吉がいたのであるから、同法第四二条、第五四条の規定を類推適用して徐行・警音器使用義務を尽すべきところを怠つた違反行為等の各過失があつたものというべきでありまた一方、被害者である野沢伊之吉においても、道路を夜間横断しようとするに当つては、自動車の行き来をよく見て、道路の安全をよく確認してから横断すべき義務があるのにこれを怠つて横断しようとした過失があつたものとすべきことは前述のとおりである。

ところで以上認定の被告金井と伊之吉との過失のほかに、原告等は、被告金井には過労運転の違法もある旨主張するが、仮に被告金井において原告等主張の如く事故当日頃自動車修理工の勤務もなした上、毎日原告等主張の時間に、整備士検定試験講習に通い、事故の前日も午後一〇時三〇分まで右講習を受け本件事故の日は事故発生時までに三時間も自動車(即ち本件被告車)の運転を継続していたとの事実があつたものとしても、同被告が過労のために正常な運転が出来ないおそれがあつたとの事実についてはこれを認めしむべき証拠がないので、原告等の右主張はこれを採用し難い。

また被告等は、野沢伊之吉が本件の第一道路を横断しようとして左側に向つて渡りながら、被告車が接近して来ている時点において、あと戻りしてもとの右側部分に入つたことは危険な行為であつて、右伊之吉の過失であると主張するが、歩行者が一旦道路を横断しようと考えてその中央線あたりまで来て(〔証拠略〕によると野沢伊之吉はまだ中央線を越えてはいなかつたか、これを越えていたとしてもごくわずかであつたことが認められる。)自動車の接近に気付き、身の安全をはかるためにいま越えて来た右側部分に戻ろうとしても、それは通常そのような場合に横断歩行者のとる当然の行為というべきであつて、これを非難することは出来ないところであり、本件の場合にもそのために結果として危険を招くものとなつても歩行者の右行為を責めることは出来ない。却つて、かかる場合に当つては、自動車の運転者としては、あくまで左側部分を通行した上、急停車の措置をとる等の方法によつて危険を避けるべきであり、歩行者の背後を通り抜けるために自動車が右側部分に侵入して来るであろうとのことを歩行者が予測して行動をとることを歩行者に期待することは出来ないものというべく、本件における後戻りの行為を目して伊之吉の過失と見ることは出来ず、この点の被告等の主張はこれを採用し難い。

そこで以上認定の加害者及び被害者の過失を比較考量すると本件事故発生に対する伊之吉の過失の割合は、被告金井の過失七に対して三と認めるを相当と考える。

すると被告金井は民法第七〇九条により右事故発生によつて被害者本人及びその相続人の蒙つた損害についてこれを賠償すべき義務がある。

二  そこで次に被告塚本の責任について考える。本件加害自動車が同被告の所有であること、及び本件被告車に右事故当時構造上の欠陥も機能上の障害もなかつたことは当事者間に争いがない。

ところで〔証拠略〕によると、被告塚本と被告金井とは昭和四三年七月頃から自動車整備士講習会で知り合いとなつたところ、被告金井の妻金井ヨシ子が出産のために埼玉県児玉郡児玉町にある同女の実家に帰省し、同実家において出産を終えたので、被告金井が同女と出産児幸代とを連れ戻しに行くため、被告塚本から本件被告車を無償で借り受け、被告金井が単身これに乗車して右を運転してその妻子を迎えに行く途中に本件事故が発生したこと、被告塚本は被告金井に対して夜間の走行についてくれぐれも用心するよう申し述べていたこと、被告金井の運転のために消費するガソリン代は全額被告金井の負担とすること等をとり決めていたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によると、その貸与は無償であり、且つ被告両名の附き合いの期間も短く、且つ前記の程度のものとしても、なお、被告塚本には本件被告車についての運行支配権と運行利益とはこれを有していたものといい得べきであり、従つて同被告には本件交通事故について自動車損害賠償保障法第三条の自動車の運行供用者としての責任は免れることの出来ないものというべきである。すると右の見解に反する見地に立つ被告塚本の責任を否定する被告等の主張はこれを採用出来ない。

三  そこで次に原告等の蒙つた損害について考える。

先ず野沢伊之吉の死亡による逸失利益について調べるに、〔証拠略〕によると、野沢伊之吉はもともと以前から農業を営むものであるが、昭和四一年頃からは不動産仲介業者三店程に、その報酬は歩合制によるとの契約のもとに従業員として雇われて不動産仲介業に従事していたものであること、ところで右不動産仲介業については、右伊之吉は宅地建物取引業法第三条に定められる免許を受けていないものであるために、自己の営業主名義ではその業務が出来ないため、右の如く従業員として不動産仲介業者の手伝いをして、その仲介成立による歩合制で報酬を受けていたものであること、もつとも中には自分の名義を以て仲介した件数もあつたことが窺われないことはないこと(その場合は宅地建物取引業法に違反した行為といわざるを得ない)、しかしながら、同人の収入に関して、従業員としての収入がいくらで、自己の名を以て仲介して手数料を自己において客から直接受取つた分がいくらであるとの点まではその区分を明確にすることは出来ないが、右違法取得収入を除外して計算してみても後記の不動産仲介による収入認定の金額よりは多くの収益を挙げていたこと、ところで同人の農業による収入は昭和四三年の死亡時の直近一年間において年間二三万一七〇〇円は下らないこと、しかしながら同人の農業形態は妻である原告野沢もとの協力によつてなされていたものであつて、その田六反畑三反より得る生産高に対する両者の寄与率は伊之吉と原告野沢もととにおいてそれぞれ二分の一と考えるを相当とし、農業所得についての右伊之吉の分は前記金額の二分の一である一一万五八五〇円と考えられること、また前述の不動産仲介業による収入は違法収入を除外して考えても死亡直近一年間において年間一五八万九六二〇円を下らないものであつたこと、以上の事実が認められ(但し、右事実中、伊之吉が宅建法第三条所定の免許を受けていないことは当事者間に争いがない)、右認定に反する乙第五号証の記載内容の一部、及び原告野沢もと本人尋問の結果の一部は前掲各証拠と対比して採用し難く、他に右認定に反する証拠はない。

因みに不動産取引業者が交通事故による死傷のために、その営業によつて得るべき利益を取得することが出来なくなつた場合には、その被害者が、当該不動産取引業の免許を受けるべきにかかわらず、これを受けていないときでも、不法行為により得べかりし営業利益の喪失の損害を蒙つたものとして加害者または自動車の運行供用者に対してその賠償を請求することができると考える(最高裁、昭和三七年(オ)第一三〇〇号、昭和三九年一〇月二九日第一小法廷判決、民集第一八巻第八号一八二三頁参照)。けだし、宅地建物取引業法第三条の事業免許制の根本趣旨は、宅地及び建物の取引の公正の確保と宅地及び建物の利用の促進とを図ることにあり、事業による営利自体を直接規制しようとするものではないからである。

すると右野沢伊之吉の昭和四三年八月三日頃の収入は、年間農業所得として一一万五八五〇円、不動産仲介業に携わることによる所得として一三五万七九二〇円、右合計一四七万三七七〇円であつたというべきである。

ところで〔証拠略〕によると野沢伊之吉は大正四年四月三〇日生れで、死亡した昭和四三年八月三日当時は五三才三月であることが認められる。しかして第一〇回生命表によれば五四才の男子の平均余命は一九・二九年であり、農業並びに不動産仲介業における稼働年数はいずれも満六四才三月までは可能であるというべきであるから、伊之吉の残余稼働年数は一一年である。

そして伊之吉の生活費は、原告野沢もと本人尋問の結果、同野沢和夫本人尋問の結果の一部、並びに前記認定の同人の兼業農家及び年間収入高及び昭和四三年における全世帯一世帯あたり平均一か月間の支出調査表(但し農林漁業家世帯、単身世帯を除く)(日本統計年鑑昭和四六年度版四一二頁)の統計数字等を総合して考えると、死亡当時一カ月一万五〇〇〇円(一カ年一八万円)であつたと認め得る。右認定に反する原告野沢和夫本人尋問の結果の一部は前掲各証拠と対比して採用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

以上の資料に基づいて野沢伊之吉の逸失利益を計算すると、年間収入一四七万三七七〇円から右生活費一年分一八万円を控除すると一カ年一二九万三七七〇円となるところ、前記のとおり残余稼働年数一一年であるから、民事法定利率年五分を以てホフマン式計算法により現価を算出すると

1,293,770円×11年×0.64516=9,181,575円18銭

即ち九一八万一五七五円(円位未満切捨)となる。

ところで原告等は右逸矢利益として七五〇万〇二二五円を請求している。そして右主張金額は過失相殺の適用が認められるとしても、過失相殺をされる以前の損害額を右金額で主張していることは本件の弁論の全趣旨に徴して明らかなところである。よつて野沢伊之吉の逸失利益は原告等の主張する範囲内において七五〇万〇二二五円と認定するものである。

次に野沢伊之吉の葬祭料等の損害について考えるに、〔証拠略〕によると、前記のとおり野沢伊之吉は昭和四三年八月三日死亡したため、その葬祭料等の費用として、同年八月三日より同年同月一六日頃に至るまでの間、同死者の残した預金、即ちその相続人等の相続財産中から、

(イ)  死亡診断書作成費として 一〇〇〇円

(ロ)  葬儀飾付費として 七万八九六〇円

(ハ)  花代として 二八五〇円

(ニ)  ドライアイス代として 四九〇〇円

(ホ)  線香代として 一八〇円

(ヘ)  礼状印刷代として 二一六〇円

(ト)  会葬者飲食飲酒代等として 一万七五三五円

(チ)  会葬者返礼費用として 四七万六二八五円

の支出(合計五八万三八七〇円)をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかしながら原告等の主張するお布施(お経料)二万四〇〇〇円の出費についてはこれが事実を認めしめるに足る証拠がないから採用し難く、また右(チ)会葬者返礼費用としての四七万六二八五円については、〔証拠略〕に照らすと、右出費の金額は野沢伊之吉の会葬者返礼費用としてはその近辺の一般の慣例と比べて費用をかけ過ぎたものであり、それというのも不慮の死に対する遺族の悲しみの感情から、その半額程度を以て相応と思われる処を右の如く二倍程度の返礼をして死者の供養をし、その冥福を祈つたというにあることが認められるので、右(チ)の額については本件事故との相当因果関係のある損害として被告等に請求し得べき限度は、その半額即ち二三万八一四三円(円位未満四捨五入)と考えるのを相当とする。よつて右修正した(チ)の額によつた前記(イ)から(チ)までの損害の合計額は三四万五七二八円となり、右は原告等がそれぞれの相続分に応じて蒙つた損害として被告等に請求し得べきものである。

そこで前記の逸失利益七五〇万〇二二五円と右葬祭料等の損害額三四万五七二八円とを加算すると伊之吉の蒙つた損害は合計七八四万五九五三円となる。しかしながら伊之吉にも前述の過失があるから、右の損害額に対して同人の過失を斟酌すると右金額に七割を乗じた五四九万二一六七円(円位未満切捨)が被告等に対して請求し得べき金額(逸失利益と葬祭料)となる。なお、これが内訳を区分すれば、逸失利益が五二五万〇一五七円(円位未満切捨)、その残の二四万二〇一〇円が葬祭料等の損害となる。

次に野沢伊之吉自身の慰藉料について考える。同人が昭和四三年八月三日午後八時三〇分頃本件の交通事故に遭い、同日午後一〇時五五分頃病院で死亡したことは前述のとおりであり、〔証拠略〕並びに前記認定の事実によると、野沢伊之吉は死亡時において五三才三月であり農業のほか、不動産取引仲介の業に従事し、その合計年間所得は前記のとおりであること、そして更に同人は勤勉家であつてその所有地である東松山市大字下青鳥字天神前六四九番地、宅地一四〇〇平方メートルにドライブインの建築を計画し、その建築の準備中であり、自分の事業の拡張を目指して努力を尽していたところ、本件事故による死亡によつてこれが中断のやむなきに至つたこと、従つて同人の本件事故死が同人に対して甚大な精神的肉体的苦痛を与えたことはいうまでもなく、伊之吉においても責任を負うべき同人の前記過失を斟酌して同人に対する慰藉料を算定すると一四〇万円を以て相当と考える。

ところで原告等が自動車損害賠償責任保険から本件事故による保険として三〇〇万円を受領していること、及びその充当方法については、まず伊之吉の逸失利益が認められる場合には、これに一番に充当すること、以上の事実についてはいずれも当事者間に争いのないところである(なお被告等は過失相殺を主張し、過失相殺した残額について右三〇〇万円を右の順序で充当支払うことを主張しているが当然のことである。)すると、伊之吉の逸失利益の損害額は過失相殺した結果が前記のとおり五二五万〇一五七円であるから、右三〇〇万円を以て弁済充当すればその残請求金額は二二五万〇一五七円となる。それに前記の葬祭料等二四万二〇一〇円と前記の慰藉料一四〇万円とを合算すれば右総計三八九万二、一六七円となる。

ところで、〔証拠略〕によると、野沢伊之吉の死亡当時の同人の相続人は原告野沢もとがその妻としてその余の原告等四名がいずれもその子として、以上合計五名が相続人であり、且つ原告等五名以外には伊之吉の相続人はいないことが認められ、右認定に反する証拠はない。するとその相続分は原告野沢もとが三分の一、その余の原告四名がそれぞれ六分の一宛であるというべきである。

次に原告等五名各自の慰藉料について考える。〔証拠略〕を総合すると、原告野沢もとは伊之吉と昭和一一年三月結婚し(但し婚姻届は昭和一二年五月二二日)、以来事故の日まで夫婦として共に家業を励み、伊之吉を一家の柱として頼つて来たものであること、原告喜子、同泰三は伊之吉の長女及び三男として本件事故当時右伊之吉と同居し、原告和夫は長男として、原告裕は次男として本件事故当時は別居して世帯を持つていたものであること、そして右原告等五名はいずれも伊之吉の本件不慮の事故死によつて甚大な悲しみを覚えたものであることが認められ他に右認定に反する証拠はない。そして右認定事実に、これまで認定した事故の態様等の諸事情を綜合参酌して考えると、野沢伊之吉の死亡による民法第七一一条に基く原告等五名のそれぞれの慰藉料額は、本件事故発生に対する伊之吉の前記過失の存在並びに伊之吉自身の慰藉料請求権の一部認容の前記事実を斟酌したうえで、原告野沢もとについては六〇万円、原告喜子同泰三についてはそれぞれ一八万円、原告和夫、同裕についてはそれぞれ一二万円と定めるを相当と考える。

次に、〔証拠略〕によると原告等と被告両名との間においては本件交通事故による原告等の蒙つた損害について本件訴訟を提起するに至るまでの間に、何らの話合がもたれたことのなかつたことが認められる。そして原告等五名がその損害の賠償を被告等に対して請求するため原告等の本件の訴訟代理人である弁護士多賀健次郎にその訴訟の提起と遂行を委任し、同弁護士が右を受任して本件訴訟を提起遂行したことは本件記録上明らかである。しかして同弁護士が本件の原告等との間で、特に右訴訟委任事務を無償で受任したであろうとの事実を認めしむべき立証のない本件にあつては原告等は同弁護士に対して何らかの特約の立証もない本件では本件の第一審判決の言渡と同時にその報酬を支払わなければならないことは当然であつて、本件訴訟記録によつて認め得られる本件訴訟の難易性とその訴額、並びに本件判決による認容額等の事情を斟酌して考えるとき、同弁護士に対する原告等全員からの報酬は五〇万円を以て相当というべきである。しかしてその五〇万円についての原告等内部についての分担額はひつきよう平等分担か、または相続分に応じての分担かのいずれかが通常の分担方法というべく、弁論の全趣旨によるとその分担割合は原告等五名のそれぞれの前記相続分に応じた割合による負担をとり決めていることが窺われ、右認定に反する証拠もない。

そこで原告等の取得した損害賠償請求権は(一)伊之吉の逸失利益として二二五万〇一五七円、(二)葬祭料として二四万二〇一〇円、(三)伊之吉の慰藉料として一四〇万円、(四)弁護士報酬として五〇万円、以上総合計四三九万二一六七円、及びこのほか、(五)原告等それぞれの慰藉料請求権となる。

ところで、右四三九万二一六七円についてはこれを原告等の相続分に応じて請求権の相続取得または損害金債務の負担をしていること前述のとおりであるから、右金額について原告等各自の前記相続分を乗ずると、原告野沢もとはその三分の一である一四六万四〇五五円(円位未満切捨)、その余の原告等は各自七三万二〇二七円宛(円位未満切捨)となる。そして右に、各原告の取得したそれぞれの慰藉料額を加算すると、原告野沢もとは二〇六万四〇五五円、原告和夫、同裕はそれぞれ八五万二〇二七円、原告喜子、同泰三はそれぞれ九一万二、〇二七円となる。

四  すると被告等は連帯して原告野沢もとに対し損害金二〇六万四〇五五円及び内金一三一万四〇〇三円(逸失利益の損害金七五万〇〇五二円を除くその余の分)に対する右損害発生の後である昭和四三年一一月二一日以降、残金七五万〇〇五二円(右逸失利益分)に対する同じく損害発生の後である昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を、原告野沢和夫、同野沢裕に対し各損害金八五万二〇二七円及び内金四七万七〇〇一円(逸失利益の損害金三七万五〇二六円を除くその余の分)に対する前記昭和四三年一一月二一日以降、残金三七万五〇二六円(右逸失利益分)に対する前記昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金、原告野沢喜子、同野沢泰三に対し各損害金九一万二〇二七円及び内金五三万七〇〇一円(逸失利益の損害金三七万五〇二六円を除くその余の分)に対する前記昭和四三年一一月二一日以降、残金三七万五〇二六円(逸失利益分)に対する前記昭和四五年六月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、被告等に対し連帯して右それぞれの金員の支払いを求める限度において原告等の本訴各請求は正当であるが、右を超える分については原告等の右各請求はいずれも失当である。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条を、原告等の各勝訴部分に対する仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西岡徳寿)

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